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■リレーコラム
      〜ヘルスケア・マネジメントにおける諸問題を考える

第6回 テクノロジーの進歩は医療を快適にするか?
小池 竜司 (東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科 薬害監視学 准教授)

 ITを初めとするテクノロジーの進歩は、人間生活の変革をもたらした。子供のころ読んだSF小説や漫画では、科学技術の進歩によって便利で 快適に暮らす人間の姿が描かれていた。確かに、そのころ夢であった科学技術のいくつかは現実のものとなり、日常生活に利用されるに至った。 しかし、それによって我々の生活は、SF小説に描かれていたように便利で快適なものになっているだろうか?現実には、昔よりも多忙になり、時間に追いかけられて生活しているのではないだろうか?たとえば携帯電話は、いつでも誰にでも連絡をとることができ、いながらにして会話が可能になることで、移動の手間を減らすことができるという夢を実現できる技術であった。しかし実際には、いつどこにいても連絡をとることができることは拘束されていることでもある。それどころか、連絡をとれるゆえに結局現場に呼び出される羽目になっている 人は少なくないはずである。

 ふりかえって医療の現場でも、爆発的にテクノロジーが進歩したことは言うまでもない。しかしそれらは医療者や患者を便利で快適にしてくれた のだろうか。テクノロジーは医療現場にどのような影響を及ぼしたであろうか。

◇診断テクノロジーの進歩

 画像診断などの診断テクノロジーは、この20年で大きく進歩したものの一つであろう。CTやMRIはその代表であるが、これらは特に本邦の設置台数が世界の中で際立って多いことがわかっている。ところが、問題点として、放射線科診断医や画像診断医がその数に追いつかず、撮影しっぱなしになっているという指摘があり、ここに医師不足の問題が見え隠れする。それでも装置さえあれば撮影はできるので、必ずしも医師数には依存しない。ところが血管造影や内視鏡検査は医師自身が術者であり、医師がいなければ施行できない画像診断である。

 血管造影の代表的検査である冠動脈造影は、急性心筋梗塞や不安定狭心症の診断・治療に必須の処置である。学会の統計では、本邦では年間140万件の冠動脈造影またはインターベンションが行われているという。さらにその40%は、時間外に実施されている。本邦の一般病院が約8,000とすると、単純計算でもすべての病院で2日に1件に相当する。実際には実施施設と非実施施設に分かれるので、ほぼ毎日実施されている施設が多数存在することとなる。

 一方、1回の冠動脈インターベンションに何名のスタッフが必要であるかについては、医療従事者以外にはあまり認識されていない。通常、冠動脈インターベンションには術者と最低でも1名の助手医師が必要であり、さらに放射線技師、介助する看護師1〜2名がスタッフとして必要である。医師は実施に関わるだけでなく、無事終了した後にも患者の集中ケアが待っている。独立した集中治療部などを有する施設では完全に委ねることができるが、 中小施設では術者またはその管理下にある若手医師が行うこととなる。容態が安定すれば看護スタッフのみに委ねられる場合もあるが、冠動脈疾患は 生命に直結する病態であり、長時間の集中治療を要する場合も少なくない。こんなことが1年に140万回起こっており、40%のケースでは、担当医はそのまま翌日の勤務や診療に移行するのである。

 冠動脈インターベンションは、25年前には少なくとも緊急に実施できる施設はほとんどない高度な医療であった。急性心筋梗塞が疑われても、多くは保存的治療(補液や安静のみ)で経過を観察し、本人の回復力(というか運)によって軽快するのを待つことしかできなかった。今から考えれば残念な経過であった反面、1名の医師で対応可能であったことも事実である。


◇IT化とその進歩

 もはや電子カルテは常識となりつつある。それ以前より、診療はIT端末を用いたものに移行していた。検査結果の保存や集計、画像情報の保存、 オーダーリングにはITは便利であるが、患者には時に「コンピューターばかり見て診療している」などと批判される。それはともかくも、ITの普及によって減った業務の一つは電話であろう。検査の予約や結果照会のためにかける電話は、明らかに減少した。しかしPC相手にかける手間がそれに見合うものかどうかは疑問である。かつてはコメディカルスタッフやクラークが独立して行っていた検査予約を、診療時間内に医師が自身で行うシステムとなった施設は少なくないはずである。結果的に一人の患者が、診察室に入り退室するまでにかかる時間が増加している可能性がある。このテクノロジーの進歩はどのような恩恵をもたらしているのか不明確である。 。

 さらに問題となるのは、システム障害の発生時である。もちろんすべての施設でリスクマネジメントが行われ、診療を中断させない対応が可能であろう。その大部分は、紙カルテや伝票を使用し、必要最小限のオーダー運用と推測される。しかし、参照できなくなった過去のデータやカルテ内容は どのように担保されるのであろうか。現代の医療において過去の検査結果や記録はきわめて重要な情報であり、数分から数十分のシステム麻痺を容認できる状況ではもはやないはずである。


◇医師過剰論に欠けていた視点

 約25年前に厚生省保険局長が言及した医師過剰の見込みは、現在修正される方向にあるが、長い間行政と世論が誘導されてきたことは言うまでもない。保険局長の見解において、医療費が増大するという見込み自体は正しいものであった。しかし医師数に関する考察は、医療テクノロジーの進歩を全く視野に入れていなかったものであることは間違いない。当時は、冠動脈インターベンションも緊急内視鏡も臓器移植手術も少数しか行われておらず、非医療者どころか診療現場の医師ですら、25年後の現状を予測していなかった。

 しかし、25年前に治療できなかった患者には医師1名で対応したが、現在ではテクノロジーを駆使した治療が「普通の診療」として行われ、そこには数名の専門医とさらに多彩なコメディカルスタッフが専従するのである。しかもこれらが24時間体制で行われるためには、翌日の日常診療業務のためのマンパワーも担保されなければならない。25年前にそれを予測することができなかったとしても、テクノロジー進歩に伴うマンパワー需要の増大がなぜ25年間放置され続けてきたのか。行政だけでなく、医療者も、国民もあらためて考える必要がある。


◇医療テクノロジーの目指すものとは

 医療は常に不完全なものであり、常に進歩の途上にある。医療進歩の基準は実施する側の利便性や満足度ではなく、救命率の向上が唯一の目標であるが、人間にとって死は不可避である。すなわち、医療テクノロジーは決して止まることなく進歩を続けることとなり、それは労力の軽減を意味するものでは全くない。高度な医療行為は、間違いなくマンパワーもコストもより多く必要とする。そして現時点の高度医療・先進医療も、10年後には標準医療となる宿命にあるのだ。

 この宿命に対して医療者は、行政は、財界は、そして享受する患者でさえどう向き合うかは結論が出ていないし、今後も考え続けなければならない。


2008年7月14日
 
小池 竜司 (こいけ りゅうじ)
小池竜司(東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科 薬害監視学 准教授)

東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科 薬害監視学 准教授

著書・その他:
エンドトキシン。(生涯教育シリーズ70、最新 臨床検査のABC, 日本医師会雑誌135・特別号(2)) 
分子生物学・免疫学キーワード辞典 (医学書院, 2003/6)
最新 膠原病・リウマチ学 (朝倉書店, 2001/5)

 

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