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第8回 World Englishes:日本の英語教育へ意味すること
大坪 喜子(長崎大学名誉教授)

◆ はじめに ◆

 今回は、国際語として使われる英語の多様性を表す「World Englishes」(世界各地の英語)について取り上げます。小学生たちは、これからの国際化社会の中でいろいろな国々からの人々が話す多様な英語に出会い、彼らも「日本人の英語」で対応することが予想されます。 ここでは、小学校で外国語(英語)活動に関わる教員のための背景的な知識として「World Englishes」の概念を紹介したいと思います。

 1980年代はじめに、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校のカチュル(Braj B.Kachru)氏が「World Englishes (以下WE)」という概念を紹介しておりますが、同じ時期に、筆者は、ハワイのイースト・ウエストセンター でのスミス(Larry E. Smith)氏担当のプログラムに参加して、「English as an International Language(以下EIL)」(国際語としての英語)という概念を学習していました。その後、スミス氏のEILとカチュル氏のWEは 同じ内容を指していることが分かり、現在では、WEに統一されています。
 以下、EIL と WE の概念を紹介し、それらの概念が日本の英語教育へどのような意味をもたらすのかについて考えてみたいと思います。

◆ EIL/WEの概念について ◆

 “International Association for World Englishes ( IAWE )”の創設メンバーであるスミス氏とカチュル氏の考え方を紹介することから始めたいと思います。

◆ EILの概念

(1)英語がもっとも頻繁に使われるようになったより重要な理由は、国際的な場面で、ノン・ネイティブスピーカー(非母国語話者)が他のノン・ネイティブスピーカーとよりしばしば英語を用いているということである。英語はわれわれの国際語の中の一つであるというより、それは、われわれの国際語であるといえる。…そして、「国際語としての英語」は、「第二言語としての英語」、または、「外国語としての英語」とは同じではない。
 どの言語も国際語としての性格を持つようになると、どの文化にも縛られることはできなくなる。タイ人は、アセアン会議でフィリッピン人と英語をうまく使うために、アメリカ人のようにある必要はないし、日本人がマレイシア人と仕事で英語を使うために英国風生活スタイルを正しく理解する必要はない。…これらの場面において、英語使用者は英語のネイティブスピーカー(母国語話者)のようにする必要がないことは明白である。英語は、…話し手の文化の表現手段であり、大英帝国、合衆国、その他のいかなる英語を母国語として使っている国の真似ではないのである。 (下線は筆者)
 (Larry E. Smith(ed.)Readings in English as an International Language (1983:7-8) (Pergamon) からの筆者訳)

 スミス氏は、EILという場合、英語はどの国にも、どの文化にも属するのではなく、それぞれの人が、自分の考えを、また、自分の文化を表すために英語を使うということ、言い換えれば、イギリスやアメリカなどの英語を母国語とする国々の文化を模倣するのではなく、自分の文化に従った表現をすればよいということを述べています。

注目点:先回りした言い方になりますが、EILの立場では、それぞれが自文化に従って英語を使うということは、発音・文法・語彙などの言語形式上の問題よりは文化の相違によって生じる問題にしばしばぶつかるということです。あるネイティブスピーカーは、使われる英語には全く問題がなくても、トピックの選び方や、会話のやり取りの仕方などにより、コミュニケーションがうまくいかないことがしばしば生じると指摘しています。 

◎ EIL:ネイティブスピーカーとノン・ネイティブスピーカーは対等の立場になる!


 スミス氏の考え方を、もう少し現実的に言い換えますと、EILとは、「英語を母国語とする人」・「第二言語として使う人」・「外国語として学習している人」が、必要に応じて、英語をコミュニケーションの手段として対等に使うことを意味することになります。これは、われわれにはたいへん負担の重い要求がなされていることになります。EILは、実際には、 「ネイティブスピーカーの英語」対「ノン・ネイティブスピーカーの英語」に分けられ、後者は、さらに、「第二言語として使っている人の英語:ESL (English as a Second Language) 」と「外国語であり、日常的には英語を使わない人の英語:EFL (English as a Foreign Language) 」に分けられるため、当然ながら、その運用能力には大きな相違があります。このため、EILについては、これまでに、「相互理解」(mutual intelligibility)、「文法的受容性」(grammatical acceptability)、「社会的妥当性」(social appropriateness)、「異なる発音型への寛容」(tolerance for different pronunciation patterns)などが熱心に議論されておりました。


 特に、ノン・ネイティブスピーカーの場合、多かれ少なかれ、それぞれが、それぞれの母国語の影響のある英語でコミュニケーションをすることになりますから、お互いに相手の英語を理解する努力をしようというのが議論の主旨であったと思います。議論を見守りながら、EFLの立場の筆者にとってもっとも印象的であったのは、EILの場合、英語のネイティブスピーカーもノン・ネイティブスピーカーの英語を理解する努力をするのが当然であるという考え方が前面に出されていたことです。それまでは、いつもノン・ネイティブスピーカーがネイティブスピーカーの英語に近づく努力を求められる立場でしたが、EILの観点からは、ネイティブスピーカーにもノン・ネイティブスピーカーの英語を理解する努力が求められるようになったわけです。


 ついでですが、スミス氏は、ある雑誌(1999年12月)のインタビューに答えて、ネイティブスピーカーは、トラブルの原因は、すべてノン・ネイティブスピーカーにあり、彼らがもっと英語力をつけなければいけないのだと思いがちですが、実際には両者の問題であり、さまざまな文化背景をもつ人がコミュニケーションの手段として英語を使う時代には、ネイティブスピーカーとノン・ネイティブスピーカーが同じクラスでEILを学ぶべきだと述べています。


◎ EIL:モデルはネイティブスピーカーです!


 ここで急いで付け加えておきたいことは、EILの観点から英語でコミュニケーションをする場合、ネイティブスピーカーとノン・ネイティブスピーカーが理論的に対等であるとはいえ、ノン・ネイティブスピーカーのわれわれは、ネイティブスピーカーの英語をモデルとして練習するのは当然であるということです。さらに、ここで注意しなければならないことは、 ネイティブスピーカーの英語をモデルに練習をし、英語を自由に自分の言葉として使えるようになったとしても、母国語の影響は免れないということです。


 インドやフィリッピン等のESLの国の人々は、英語を自分の言葉として自由に使えますが、その場合、母国語の影響がむしろ自然に出てくるようにさえ思われます。われわれは、彼らの話す英語を聞いて、「インド人の英語」であるとか、「フィリッピン人の英語」であるというように判断できます。そのように母国語の影響があるにしても、英語を自分の言葉として自由に使えるようになってはじめて、「インド(人)の英語」、「フィリッピン(人)の英語」であると言えるのではないかと思います。カチュル氏は、そのような世界各地の英語を「World Englishes」と呼んでいます。

◆ WEの概念

(2)「World Englishes」という概念には、「伝達手段としての英語」(English as a medium) と「複数文化のレパートリーとしての英語」(English as a repertoire of cultural pluralism)という二面性があることを認識すべきである。前者は、言語形式を、後者は、その機能・その内容を指している。われわれが、国際的な英語社会の構成員として共有しているのは、「伝達手段としての英語」である。そして、その伝達手段それ自体は、伝えるメッセージに関していかなる制限もしない。
 われわれが、英語をグローバルな伝達手段(a global medium)であるというとき、いろいろな文化間の違いを超えて、英語を用いる人々は、コミュニケーションのために 一つの共有されたコードを持つことを意味する。この共有された能力、すなわち、英語を用いることができるということの結果として、いろいろな国の人々が英語を用いるために、いろいろな注意すべき相違点も出てくるけれども、われわれは、お互いにコミュニケーションができると信じている―1人の英語使用者が他の英語使用者と、例えば、ナイジェリア人がインド人と、日本人がドイツ人と、シンガポール人がアメリカ人と、というように。われわれは、一つの言語(英語)を使って多くの国の人々と会話ができるのは、このような広い意味における会話(interlocution)においてである。(下線は筆者)
 (Braj B. Kachru, Speaking Tree: A Medium of Plural Canons. In M.L. Tikoo (ed),
Language, Literature and culture.(1995:1-2) (Singapore :RELC)より筆者訳)  

 (2)の下線部の内容について少し説明を加えますと、WEという概念には、 英語使用者共通の「伝達手段としての英語」という言語形式と、その言語形式がそれぞれの 文化を伝えるために使われるために「複数文化のレパートリーとしての英語」という捉え方が なされています。すなわち、英語という言語形式はすべての英語使用者に共通ですが、 その言語形式が表わす内容は、それぞれの文化を表わすことになります。 これは、(1)の下線部、「どの言語も、国際語としての性格を持つようになると、どの文化にも縛られることはできなくなる。」ということを別の視点から述べたものということができます。このように、(1)と(2)は同じ内容を表しているということができます。

以上、EILとWEの概念について紹介してきましたが、EILとWEの考え方は同じであり、 現在では、WEに統一されて、それぞれの英語・文化に焦点を当てた研究や英語教育法の 研究が熱心に行われています。そして、毎年、世界各地で開催されている国際学会、 ”The International Conference for World Englishes” がそれぞれの情報を提供し合う 研究発表の場となっています。

◎ WE:日本の英語教育へ意味するもの

次の二点を指摘しておきたいと思います。 1. WEの観点から日本の英語教育に期待されることは、何よりもまず日本人が英語を 自分の言葉として自由に使えるように指導すること、すなわち、「日本(人)の英語」の 実現を目指すということ。 2. WEは、世界各地のそれぞれの英語には特徴があるということを暗示しているため、 例えば、日本人の英語には日本人特有の癖があることを当然のこととして受け入れ させてくれる。そして、日本人特有の癖が自然に出てくることを認めることによって、 二つの利点が考えられる。一つは、日本人教師にとって、これまでより英語を コミュニケーションの手段として使うことに対する抵抗感が少なくなり、より自由な気持ちで 英語コミュニケーションの授業に対応することができると考えられること、 つまり、日本人英語教師にとって精神的負担が軽くなるということ。 もう一つは、他の国からの人々の英語の癖に対しても許容力が出てくるということ、 すなわち、英語の多様性を受け入れることができるようになるということ。

最後に、WEの「多様な英語によるやり取り」において、ネイティブスピ−カーが最も 理解されやすいのか(また、理解できるのか)どうかについてのスミス氏の最近の コメント(World Englishes,Vol.28:No.1.( March 2009))を紹介しておきたいと思います。 ネイティブスピーカーであるということは、英語が流暢で多様な英語に馴染んでいる ことほど重要ではないと述べ、多様な英語に触れる態度が重要であることを 指摘しています。参考にしたいと思います。

2009年5月28日

 
大坪喜子(おおつぼ よしこ)
大坪喜子(長崎大学名誉教授)

長崎大学名誉教授。

著書・その他:
DEVELOPMENT OF A TEACHER TRAINING PROGRAM―AT THE DEPARTMENT OF ENGLISH,NAGASAKI UNIVERSITY (創英社/三省堂書店、2004/02)
・小学校で英語を教えよう―英語科教員養成の理論と実践― (創英社/三省堂書店、1999/11)

 

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