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第7回 外国語(英語)活動の中での文化学習の背景
大坪 喜子(長崎大学名誉教授)

◆ はじめに ◆

 新小学校学習指導要領(外国語活動)の「第1.目標」では、「外国語を通じて、言語や文化について体験的に理解を深め、積極的にコミュニケーションを 図ろうとする態度の育成を図り、・・・」とあり、さらに、「第2.内容」の「2.(2)」では、 「日本と外国との生活、習慣、行事などの違いを知り、多様な物の見方や考え方が あることに気付くこと。」が提示されており、広い意味での「文化」の学習が重要視されていることが分かります。
 そこで、ここでは、「文化人類学」の観点から「文化」の概念と「異文化の衝突」 について紹介し、外国語(英語)活動における文化学習のヒントを探ってみたい と思います。

◆ 「文化」の捉え方 ◆

 文化人類学における「文化」(culture)の概念は、一般にいう「文化人」、すなわち、「知的教養のある人」、あるいは、「外国語を話し、歴史、文学、哲学、芸術などに通じている人」という言葉で表わされるような「文化」よりも広い意味を持っています。その概念は、R. ベネディクト(1934)、及び、E.T. ホール(1959)では、それぞれ、次のように述べられています。

(1)個々人の生活史(life-history)は、何よりもまず、その社会に伝統的に伝えられ てきた型(patterns)と基準(standards)に適合したものである。彼の誕生のその瞬間から、その社会の習慣が彼の経験や行動を形作る。話すことができるようになる頃 までには、彼は、その文化(culture)の小さな創造物になっており、そして、成長してその社会の活動に参加できる頃までには、その社会の習慣は彼の習慣であり、 その信条は、彼の信条であり、その社会で不可能なことは、彼にも不可能なことである。
(福田陸太郎編注によるRuth Benedict, Patterns of culture (1964:3)(松拍社)より筆者訳)


(2)「文化」とは、人類学者たちの選ばれたグループによって南太平洋で研究されるエキゾチックな概念ではなく、それは、一つの型(a mold)である。われわれは、みなその「型」の中に入れられており、それは、いろいろな思いがけない方法で、われわれの日々の生活を支配している。
(Edward T. Hall, The Silent Language (1959:30) (Doubleday & Company) より筆者訳)

 これらの引用文が示すように、ベネディクトの場合も、ホールの場合も、「文化」とは、人間の生活環境そのものであると捉えていることが伺えます。言い換えますと、日本文化という「型」の中で育ったわれわれは、日本文化という一つの「型」の中で生活しており、その「型」に支配されて行動しているということ、そして、われわれは、 われわれの「文化の型」を意識しているのではなく、むしろ、当然のこととして受け入れているということになります。

 このような文化人類学の「文化」の概念を、より「文化学習」の方向へと結び付けているのが次に示すRichard Brislin氏の考え方です。 (これは、ハワイのイースト・ウエストセンターのプログラム(1979)で示されたものです。)

(3)「文化」とは、あまりにも当然のこととして受け入れられており、それは空気のようにほとんど意識されなくなっているため、ふつうは、話題にされることも、また、議論 されることもないものである。言いかえれば、それは広く人々に共有されており、だれもが共有しているために話題にはならないのである。このことは、「文化」が人々の行動にどのように影響するのかを論じたりすることはほとんどないというと、そのために、自分の文化を他の国からの人々に説明する準備がうまくできていないということを意味する、と指摘しています。

 それでは、そのような意識されてない自文化をどのようにして意識することになるのかということについてですが、次のような「異文化の衝突」(a clash)という考え方を示しています。

(4)異なる文化背景を持つ人とのやりとり(interaction)の中で、自分自身の文化にしたがって妥当であると思われる行動をしているにも関わらず、相手がどうも自分とは違った、おかしな行動をしていると思うときがあるであろう。それが、まさに、異なる文化との出会いである。そして、その異文化との出会いを「異文化の衝突」(a clash)と呼ぶことができる。この「異文化の衝突」は、必ずしも悪いことではなく、それは、むしろ、われわれが自分自身の文化に気づく良い機会(または、「きっかけ」)となる、と指摘しています。(事実、異なる文化に出会うことで、自文化を見直し、改めてその特徴に気づくことがあります。)

 ここで、これまで述べてきたことを要約しますと、文化人類学の立場からの「文化」は、(1)広い意味での「文化」を意味しているということ、したがって、(2)生まれた時からそれぞれの置かれた環境の中で自然に身につけているものであり、 それぞれにとって、あまりにも当然のことであるため、日常的には意識されないものであるということ、そして、(3)自分とは異なる文化背景の人に接することにより、はじめて自文化に気づくことができるということ、の3点に纏められます。

◆ まとめ ◆

 このような考え方を背景にして、小学校における外国語(英語)活動について考えますと、次のような案が浮かんできます。

(1)まず、異なる文化に属するALTとの「やりとり」の中で、小学生たちにとっても、 JTEにとっても、そして、もちろん、ALTにとっても、「おやっ」と思うことがある場合 (異文化の衝突です!)、お互いに遠慮することなく、相手の文化・習慣について質問し、できるだけ会話のチャンスを多く作りましょう。

(2)自分自身の文化・習慣についても、できるだけ意識して説明しましょう。自分にとって当たり前になっていることでも、異なる文化背景の人々に説明する努力をすることによって、自文化に気づくことがあります。

 ここで付け加えておきたいことがあります。(2)の場合、自文化についてすぐにはうまく説明できないこともしばしばあるということです。個人的な経験ですが、 ハワイのイースト・ウエストセンターでの文化学習の場で、日本人の着物や 帯の色の使い方について、台湾からの男子学生に、なぜ若い女性が赤い色の帯を するのか、年配の女性はなぜ赤い色を使わないのかと聞かれ、答えられなかった ことがあります。その時は、なぜこんな当たり前のことを聞くのであろうと思ったの ですが、後で、日本文化と中国文化の色の捉え方に違いがあることに気づきました。

 このような身近な異文化経験、または、異文化衝突を生かして、出来るだけ多く「やりとり」をして、相互理解を深める経験をしていただきたいと思います。

2009年4月28日

 
大坪喜子(おおつぼ よしこ)
大坪喜子(長崎大学名誉教授)

長崎大学名誉教授。

著書・その他:
DEVELOPMENT OF A TEACHER TRAINING PROGRAM―AT THE DEPARTMENT OF ENGLISH,NAGASAKI UNIVERSITY (創英社/三省堂書店、2004/02)
・小学校で英語を教えよう―英語科教員養成の理論と実践― (創英社/三省堂書店、1999/11)

 

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